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人にけなされること
「万人を喜ばすことはできない」のであり、「全員に好かれることはありえない」のだ。
「人にけなされることをどう受け止めるか」は生きていく上で、避けて通れない心のレッスンだ。
たとえば、選挙戦で候補者が55%の票を得て当選したとしても、残りの45%は別の人を応援していたわけだ。
かなり謙虚な気持ちにさせられるだろう。
家族や友人や同僚から認められるのが、これより高い支持率だとは思えない。
みんな、それぞれの考えや価値観を持っていて、いつも自分と一致するとは限らないから。
これは明白な事実なのだが、私たちはこの事実を受けいれたがらず、自分の考えが拒否されたり、反論されると、怒ったり傷ついたりしてしまう。
みんなに認められるのは不可能だと言う事実を受け入れることができれば、ずいぶんと生きやすくなる。
否定されることだってあるという事実を受け入れることができると、人生楽勝だ。
否定されたら落ち込まないで、「またか、そんなこともあるさ」と思えばいい。
そうすれば、人に認められたときには、それに感謝できるようになる。
いい事があったり、悪いことがあったり、認められたり、拒絶されたり・・・
人生はその繰り返しなのだ。
自分が満足すればするほど、人の評価に頼らなくてすむようになるのだ。
一つ一つの問題を、絶対に勝たなければならない戦いだと考えると、人生という旅はかなり険しいものになるだろう。
絶対に勝って、すべてをきちんとやりとげたときしか、幸せを感じることができないからだ。
そして、そううまくいくことはめったにない。
人生、あるいは人生で起こるさまざまな挑戦を、単なるテストだと思えば、目の前にある問題は、自分を成長させて、飛んでくる火の粉から柔軟に身をかわすコツを覚えさせてくれるチャンスだと思えるようになる。
何らかの問題や、責任、超えるのは難しいと思えるようなハードルの山が現れても、それをテストだと思えば乗り越えられるチャンスは常にある。
たとえば、むずかしい年頃の子供とか、きつい要求をしてくる上司がいるとして、これを問題視する代わりにテストだと考えてみよう。
無理に解決しようとしないで、そこから何かを学べるかどうかを考えるのだ。
・なぜ、これが私の人生に起きたのか?
・これは私の人生にとってどんな意味があるのか?
・これを乗り越えるためにはどうすればいいのか?
たとえば、時間が足りなくて、なお、すべてをやりとげようとジタバタしていると、うまくいかない理由を、家族や環境やほかのせいにしてしまいがちだ。
でも、この状況をテストだと思えば、時間を作りだそうと必死になる代わりに、何もかもやり終えなければならないという考え方を見直してみてもいいのでは、と気付くことができる。
これをテストだと思えば、自分の欲求不満をなだめることができるようになるし、
たとえ、時間がなくてジタバタしていても気持ちがずっと楽になるはずだ。
あるがままの現実を受け入れるほうが、ずっと簡単だから。
気分が落ち込むときは・・・
気分が悪くて落ち込んでいるときは、実際はそうではないのに、「最低の人生だ・・・」と思いこんでしまいます。
逆に気分がいいときは、『人生は最高だ!』と思います。
そういうときは、客観的であり、常識も知恵も発揮されます。
気分がいいと、なにか問題があっても簡単に解決できそうな気がするし、人間関係もコミュニケーションもすべてうまくいくように思えます。
批判されても、さらりと受け流すことができるでしょう。
ところが・・・
気分が落ち込むと、生きるのさえしんどくなります。
客観性などすっかり無くなり、周りの人たちに悪意さえ感じてしまいます。
つまり、私たちは気分に支配されているのです。
朝、とても気分がよくて家族に感謝し、仕事も充実していると感じ、将来はバラ色だと人生に感謝もします。
ところが、午後も遅くなり気分が落ち込んでくると、家族は口うるさくて、仕事は嫌いだし、将来なんて何の希望もないと感じてしまいます。
こんなに気分が変わるのは、滑稽に見えるかもしれませんが、私たちは多かれ少なかれ、こんなものです。
落ち込んでいるときは、客観性など消えてしまい、切羽つまった感じになり、いい気分のときは、そんなことはすっかり忘れて、何もかもよく見えます。
つまり、気分次第で、今の状況に対する見方がころりと変わるということです。
落ち込んだときは、気分のせいだと気づかずに、「人生を間違えた」くらいに思ってしまいます。
でも、実際は、人生は落ち込んだときに感じるほどひどくはありません。
気分が落ち込んでいるときは、暗い気分になっていないで、『今は気分がドン底だけど、ほうっておけば自然に消える』と自分に言い聞かせましょう。
暗い気分のときは、あまり真剣に考えずに割り切ってやり過ごし、いい気分のときにはありがたく思いましょう。
その暗い気分は必ず消えますから!
生きていると、いろいろなもめ事に出会う。
小さなもめ事に騒ぎ立てるか、それを水に流して忘れるかいう選択だらけだ。
戦う相手を賢く選べば、本当に大切な戦いに勝てるようになる。
確かに、相手と口論をしたり、自分の信念のために戦わなければならないときもあるだろう。
でも、多くの人はたいしたことじゃないことで戦い、人生をどうでもいいようなことの戦いの連続にしている。
そうなると、欲求不満のカタマリになって、本当に大事なことを見失ってしまう。
すべてを自分の都合のいいようにしたいと願うなら、ほんの小さな邪魔が入っても、大問題にしてさわいでしまうだろう。
人生は思いどおりにいかないものなのだ。
他人はあなたの都合のいいようには動いてはくれない。
あなたに反論する人がいて、あなたと違うやり方をする人がいくらでもいる。
人生は、いくらやってもうまくいかないことだらけだ。
これが基本線なので、これに逆らおうとするといつも戦って過ごすことになる。
平和な人生を送りたいなら、戦いがいのある対象をきちんと見極めないといけない。
すべてを完璧に成しとげるのが目標なのか?
ストレスのない生き方をするのが目標なのか?
ストレスのない生き方を望むなら、ほとんどの戦いはおだやかな気分を壊すものでしかないと気づくだろう。
夫婦で、悪いのはそっちだと言いつのることがそんなに重要?
相手のちょっとしたミスをあげつらうことがそんなに重要?
どこのレストランで食事をしようとか、何の映画を観ようかとか、隣の人が道路に駐車して困るとか・・・
戦いのタネは、こんなことを含めたら無限だ。
自分の戦うリストを見てみると、つまらない戦いばかりだと思い、戦う優先順位を変えたいと思うだろう。
戦いを賢く選ぶのが先決だ。
そうすれば、戦う必要をまるっきり感じなくなるかもしれない。
いい聞き手になりたい
私は人の話をきちんと聞いているかなと振り返ってみると、あまりいい聞き手ではないよいような気がする。
相手が話し終えるまでじっくりと相手の話を聞いて、それから自分が話すということをあまり守れていないと反省中だ。
つい、まだ相手が話をしているにもかかわらず、私はこう思うとか、それはこうだとか、自分の話を割り込ませる癖がある。
いい聞き手とは、相手の話を途中でさえぎる癖を持たないだけではない。
自分の番がくるのをいらいらと待つのでもなく、相手が言いたいことをすっかり話し終えるまで、満足して聞き手にまわるということだ。
相手の話がうまく聞けないというのは、私たちの生き方をあらわしているようだ。
相手の話が終わると同時に話し出す、という時間競争が目標になっているみたいに。
反応する速度をゆるめて相手の話をじっくり聞くと、もっとおだやかな人になれるだろう。
まず、プレッシャーがなくなる。
相手が何を言うだろうかとか、それにどう答えようかとジリジリ待つのは、結構ストレスが溜まるものだ。
相手の話を終わりまで、じっくりと聞いていると、プレッシャーが消えて気分がリラックスする。
それは相手にも伝わるから、相手もゆったりする。
いい聞き手になると、人間関係の質も向上させられるのだ。
みんな、自分の話をちゃんと聞いてくれる人と話をしたいと思っているから。