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私たちが他人と目を合わせないようにしていることに気付いたことはありますか?
なぜ、目を合わせないようにしているのですか?
怖いから?
私たちが他人に心を開こうとしない理由は何ですか?
ひとつだけはっきりしているのは、他人に対する態度と自分の幸福度はいつも並んでいるということ。
つまり、しかめっ面をして、人を避けて、うなだれて歩いている人のなかに、おだやかで楽しく生きている人はいないということだ。
社交的になりなさいとか、他人の人生を明るくするためにエネルギーを必死に振りしぼりなさいとか、愛想のいいふりをしなさいとか、勧めている訳ではない。
知らない人に、思いやりと敬意を寄せるだけではなく、ちょっと微笑んで目を合わせたりするようにすれば、自分の心に思いがけない変化が起きる。
そうすれば、みんな自分と同じなんだなぁ、とか自分に似ているなぁとか思えてくるだろう。
それは、みんな家族があり、愛する人がいて、悩んだり不安を持っていたり、好きなことや嫌いなことがあるということ。
自分からほほえんで行動すれば、相手もやさしく反応してくれる。
人はみんな、自分と同じ人間なのだなぁって気づけて、幸せ気分になれるのだ。
朝一番に、感謝したい人を思い浮かべて『ありがとう』をいうと、心が平和になれる。
感謝することと、心の平和は切り離せないものだから。
人生で与えられたものに、感謝すればするほど心が平和になるのだ。
感謝したい人たちとは・・・
家族、友達、昔の知り合い、先生、先輩、職場の仲間、チャンスをくれた恩人、気付きを与えてくれた人などなど。
つまり、感謝したい人は、誰でもいいということなのだ。
渋滞に割り込ませてくれた人でもいいし、命を救ってくれたお医者さんとか、やさしい看護師さん、親切にしてくれた店員さん、笑顔をくれたひと・・
要するに、朝一番に感謝の気持ちを持つということが大事なのだ。
私はほうっておくと、すぐに否定的な気持ちになってしまう。
そうすると、感謝の気持ちが消えていき、感謝するべき人を思い浮かべても、愛情ではなく、憤りや欲求不満がわいてくる。
人生、いい面だけを見つめる練習をしよう!!
感謝したいことが次々に浮かんでくると、練習の成果がでているということ。
自分の健康に感謝、家族に感謝、仕事に感謝、出会った人に感謝、自由に感謝というふうに。
朝一番に感謝の気持ちを持つと、おだやかに一日を過ごせるだろう。
なにか問題があり、それに真っ正面から取り組むとストレスになるが、頭の片隅を使うと苦労しないで効果が出せる。
つまり、忙しくなにかをしながら、頭の片隅で問題を解決することができるのだ。
例えていうと、ガスレンジの弱火にかけた鍋のようなもので、
鍋の中にはいろいろな材料が入っていて、チョロ火にかけて煮込むとおいしい料理が出来上がるという寸法だ。
作り方はいたって簡単だ。
鍋に材料を入れて、チョロ火にかけて、ちょっとかき混ぜて、あとは放っておくだけ。
手間をかけない方がおいしくできる。
これと同じように、頭の片隅に、悩みや思いついたアイディアや解決策などをいろいろ入れて混ぜておくと、けっこう多くの問題を解消することができる。
お鍋で煮込むように、頭の片隅に入れた考えやアイディアは、自然に煮えるまで放っておくだけ。
問題を解決しようとするとき、人の名前が思い出せないときなど、頭の片隅はいつも柔軟な役に立つ知恵袋になってくれる。
頭の片隅は、否定したり引き延ばしたりする為ではなく、考え事をチョロ火で温めておく場所だ。
頭の片隅に悩みや問題を置いておくというテクニックは、問題を解決する助けになったり、ストレスをぐんと減らすのに役立つ。
人生は非常事態ではない。
みなさん、人生はたいへんだと思っているようだが、本当だろうか。
人生はたいへんだから、目いっぱい働いて、働いて・・・働かないとダメだと思っている。
家族や夢をないがしろにして生きているのではないだろうか?
専業主婦で、家事を完璧にこなすことができないと、自分の能力を嘆く人がいたりする。
でも、自分でたいへんだと思っているだけで、洗濯や掃除を早く片付けないといけないと、プレッシャーを作り上げているのは彼女自身なのだ。
人生の目標を真剣に考えすぎて、それに到達する過程を楽しんだり、たまには気を抜くことをすっかり忘れているようだ。
優先順位にこだわり、それができたら幸せだと思い込み、あるいは自分で作った締め切りに間に合わせたいと、メチャメチャに頑張ってしまいます。
『ああ忙しい』と、その非常事態を作っているのは自分だと認めてみよう。
それは、謙虚で心豊かな人になるための第一歩なのだ。
人生は自分の計画通りに行かなくても進んでいくものだ。
人生は非常事態ではないと、いつも自分に言い聞かせよう!
終身生命保険金・・・そのお金は私の葬式代だと思っている。
大昔のスター 水ノ江滝子(知らない??) が生前に自分の葬式をやっていた。
あれから数年後に本当に亡くなったが、生前葬をやってよかったとテレビで言っていた。
たくさんの友だちが来てくれて、わいわい・がやがやとそれは楽しい生前葬だったと・・・
みんな、弔辞も読んでいた。
こんなに大げさにする必要はないが、自分の葬式に出るところを想像するのは、『人生で何が大切か』を確認するのにはとても効果的だと思う。
これまで生きてきた人生を振り返って、満足だったと思える人がいったいどれくらいいるだろうか。
死んだあとから(?)、満足できない人生だったと嘆くのでは、あまりにも遅すぎだ。
死の床で過去を振り返って、「私は優先順位を間違えたなぁ・・・」とみんな思うに違いない。
ほとんどの人は、何とつまらないことで悩んでいたのだろうとか、そんなことに時間を使わずに、大切な人との時間や好きなことに時間を使えばよかったと思うはずだ。
自分の葬式を想像して、生きているうちに自分の人生を見直して、変えられるところは変えたいものだ。
自分の死を見つめて、『自分はどんな人になりたいのか』とか『優先しなければならないのは何なのか』を考えれば、現在の生き方を見直すことができるはずだ。