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誰かに不愉快な態度を取られたり、失礼なことを言われたりして気分が落ち込んだときに、「気にしないほうがいいよ、彼は自分がなにをしているのかわかってなかったんだよ。」
と言ってもらったり、あるいは誰かに言った経験はあるだろうか?
それは「人の行動の奥を見なさい」ということだ。
愛情の基盤を、子供たちの行動のみにおくとしたら、子供を愛するなんて、とてもたいへんなことになってしまう。
もし、愛情の基盤が行動のみにおかれるとしたら、10代の頃の私たちは誰にも愛してもらえないだろう。
誰かが納得のいかない行動をとったとき、自分たちの10代の頃の行動と照らし合わせてみてほしい。
すべての人に思いやりを持って接すれば、「相手の行動の裏」が見えてくる。
別に、現実を見ないようにするわけではない。
すべてが素晴らしいというふりをしたり、踏みにじられても耐え続けたり、否定的な行動を正当化したり認めたりするというのでもない。
「相手の行動の裏」を考えてみると言うことだ。
役所の人が、ノロノロと仕事をしているように見えるのは、その日は朝からイヤな思いをして気が滅入っているからかもしれない。
看護師さんの態度がきついなぁと感じられるのは、きっと夜勤明けでクタクタなんだろうと考えてみる。
人の行動の奥をみると、世の中はもっと愛情豊かになるだろう。
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思いついたときに親切にするのは、見返りを求めずに与える喜びを味わう最良の方法だ。
親切にしたら、『こんな親切なことを人にしたよ』などと人に言わないほうがいい。
自分の心の中で、“いいことをした”と満足している方が、ずっと喜びを味わえる。
思いがけない親切をしてもらってうれしかったとき、親切を贈られた人は、『一日ずっといい人でいよう』と思うかもしれない。
小さな親切が連鎖反応を起こすことはよくあることだ。
小さな親切をしよう。
自分の心が満足するから。
廊下に落ちているゴミを拾ったり、地下道で寝ている人(浮浪者)にお金をあげたり、捨て犬を拾ったり、被災地でボランティアをしたり、他にもいろいろな親切が考えられる。
親切にするのは楽しいことだし、高いお金もかからない。
親切にする一番の理由は、その行為が自分自身の人生に最大の充足をもたらすからだ。
親切な行為をするたびに、自分の中に前向きな気持ちが生まれて、「奉仕」「親切」「愛情」という大切なことを思い出すことができる。
みんなが自分にできる親切な行為をすれば、世の中はもっと生きやすくなるだろう。
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人にけなされること
「万人を喜ばすことはできない」のであり、「全員に好かれることはありえない」のだ。
「人にけなされることをどう受け止めるか」は生きていく上で、避けて通れない心のレッスンだ。
たとえば、選挙戦で候補者が55%の票を得て当選したとしても、残りの45%は別の人を応援していたわけだ。
かなり謙虚な気持ちにさせられるだろう。
家族や友人や同僚から認められるのが、これより高い支持率だとは思えない。
みんな、それぞれの考えや価値観を持っていて、いつも自分と一致するとは限らないから。
これは明白な事実なのだが、私たちはこの事実を受けいれたがらず、自分の考えが拒否されたり、反論されると、怒ったり傷ついたりしてしまう。
みんなに認められるのは不可能だと言う事実を受け入れることができれば、ずいぶんと生きやすくなる。
否定されることだってあるという事実を受け入れることができると、人生楽勝だ。
否定されたら落ち込まないで、「またか、そんなこともあるさ」と思えばいい。
そうすれば、人に認められたときには、それに感謝できるようになる。
いい事があったり、悪いことがあったり、認められたり、拒絶されたり・・・
人生はその繰り返しなのだ。
自分が満足すればするほど、人の評価に頼らなくてすむようになるのだ。
一つ一つの問題を、絶対に勝たなければならない戦いだと考えると、人生という旅はかなり険しいものになるだろう。
絶対に勝って、すべてをきちんとやりとげたときしか、幸せを感じることができないからだ。
そして、そううまくいくことはめったにない。
人生、あるいは人生で起こるさまざまな挑戦を、単なるテストだと思えば、目の前にある問題は、自分を成長させて、飛んでくる火の粉から柔軟に身をかわすコツを覚えさせてくれるチャンスだと思えるようになる。
何らかの問題や、責任、超えるのは難しいと思えるようなハードルの山が現れても、それをテストだと思えば乗り越えられるチャンスは常にある。
たとえば、むずかしい年頃の子供とか、きつい要求をしてくる上司がいるとして、これを問題視する代わりにテストだと考えてみよう。
無理に解決しようとしないで、そこから何かを学べるかどうかを考えるのだ。
・なぜ、これが私の人生に起きたのか?
・これは私の人生にとってどんな意味があるのか?
・これを乗り越えるためにはどうすればいいのか?
たとえば、時間が足りなくて、なお、すべてをやりとげようとジタバタしていると、うまくいかない理由を、家族や環境やほかのせいにしてしまいがちだ。
でも、この状況をテストだと思えば、時間を作りだそうと必死になる代わりに、何もかもやり終えなければならないという考え方を見直してみてもいいのでは、と気付くことができる。
これをテストだと思えば、自分の欲求不満をなだめることができるようになるし、
たとえ、時間がなくてジタバタしていても気持ちがずっと楽になるはずだ。
あるがままの現実を受け入れるほうが、ずっと簡単だから。
気分が落ち込むときは・・・
気分が悪くて落ち込んでいるときは、実際はそうではないのに、「最低の人生だ・・・」と思いこんでしまいます。
逆に気分がいいときは、『人生は最高だ!』と思います。
そういうときは、客観的であり、常識も知恵も発揮されます。
気分がいいと、なにか問題があっても簡単に解決できそうな気がするし、人間関係もコミュニケーションもすべてうまくいくように思えます。
批判されても、さらりと受け流すことができるでしょう。
ところが・・・
気分が落ち込むと、生きるのさえしんどくなります。
客観性などすっかり無くなり、周りの人たちに悪意さえ感じてしまいます。
つまり、私たちは気分に支配されているのです。
朝、とても気分がよくて家族に感謝し、仕事も充実していると感じ、将来はバラ色だと人生に感謝もします。
ところが、午後も遅くなり気分が落ち込んでくると、家族は口うるさくて、仕事は嫌いだし、将来なんて何の希望もないと感じてしまいます。
こんなに気分が変わるのは、滑稽に見えるかもしれませんが、私たちは多かれ少なかれ、こんなものです。
落ち込んでいるときは、客観性など消えてしまい、切羽つまった感じになり、いい気分のときは、そんなことはすっかり忘れて、何もかもよく見えます。
つまり、気分次第で、今の状況に対する見方がころりと変わるということです。
落ち込んだときは、気分のせいだと気づかずに、「人生を間違えた」くらいに思ってしまいます。
でも、実際は、人生は落ち込んだときに感じるほどひどくはありません。
気分が落ち込んでいるときは、暗い気分になっていないで、『今は気分がドン底だけど、ほうっておけば自然に消える』と自分に言い聞かせましょう。
暗い気分のときは、あまり真剣に考えずに割り切ってやり過ごし、いい気分のときにはありがたく思いましょう。
その暗い気分は必ず消えますから!