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自分から先に手を差し出そう
私たちはみんな、心の中に怒りをためている。
口論、誤解、過去に味わったつらい出来事、親の育て方・・・
友情や家族との関係の修復を心で望みながら、相手が行動を起こすのを黙ってじっと待っている。
相手が悪いのだから、相手が先に謝るべきだと。
でも、「相手が悪いのだから、こちらから折れるのはイヤだ」と思っていると、いつまでたっても関係修復は望めない。
自分から先に手を差し出すと、相手もそれを待っていた、ということがよくあるものだ。
相手が悪いのだからと、『立場やメンツ”』にこだわっていると、関係修復はできないだろう。
立場を貫くより、自分から心を開いて手を差し出すほうがずっと幸せになれるし、また穏やかな人生が送れる。
幸せになるためには、水に流そう。
自分から手を差し出すことは、他の人に勝ちをゆずることだ。
でも、それは決してあなたが間違っているわけではない。
水に流すことで、何もかもうまくいくのだ。
水に流すことであなたは穏やかな心が得られるはずだ。
こちらから手を差し出せば、相手も心を開いて応じてくれるかもしれない。
万一、応じてくれなくても、がっかりすることはない。
自分から手を差し出した満足感で、じゅうぶんに穏やかな心になれるから。
最後に・・・
水に流すということは、「相手を許す」という意味ではない。
顔を洗った後の洗面器の汚れた水を、ザッと流して捨てるように
自分の心の中の汚いものを、「水を流すように捨てる」という意味だ。
我慢して耐え忍ぶ、つまり忍耐力をつけるのは訓練が必要だ。
見方を変えると、訓練で忍耐力は育つということである。
実際に時間を区切って、今から忍耐を自習しようと決めて、そのための時間を作ればいい。
最初は5分からはじめて、慣れると時間を延長する。
『今から5分間は何があってもイライラしないで忍耐強くなる!』と心に決めて、自分に言い聞かせるのだ。
これが、やってみるとびっくりするほど効果がある。
我慢しようと意識すると、思っている以上に忍耐できるから不思議だ。
たったの5分でも我慢する(忍耐)ことを覚えると、自分が本当は忍耐できる人間だとわかり、もう少し時間を延長してもいいかなと思えてくる。
それを繰り返していけば、本当に忍耐強い人になれるだろう。
気持ちを忍耐することに向けるだけで、今の状況を冷静に受け入れることができるようになる。
カッとして頭に血がのぼった状態だと、「またかよ、いいかげんにしてくれよ!」としか考えられないが、意識して、忍耐強くなろうとすると、起こっていることを客観的にみることができるようになってくる。
たいへんな状況のときでも、落ち着けばすぐに解決できることだと、冷静に思えるようになってくるから不思議だ。
でないと、同じ状況でも、どなったり、叫んだり、血圧があがった(頭に血がのぼった)状態になってしまうだろう。
そんな修羅場は要らない。
穏やかで、好かれる人になる方法とは?
それは忍耐力をつけるといい。
忍耐力があれば今の状態に満足できるようになるから。
忍耐力がない人は、不平不満だらけの人生を送ることになります。
不安になったり、悩んだり、イライラしたりと不満だらけです。
忍耐力があれば、自分の人生を受け入れられて、こころが平和になります。
忍耐強くなるためには、今、この瞬間に目を向けることです。
今が悪い状況のとき・・・
バスが渋滞に引っ掛かって動かない!
会社に遅刻する!
あせりが雪だるまのようにふくらむとき、この瞬間にこころを向けると落ち着くことができます。
リラックスするように自分に言い聞かせて、深呼吸してみます。
人生全体を考えれたら、遅刻はたいしたことじゃないと、自分に言い聞かせるのです。
また、何か急ぐ仕事をしているときに、誰かに質問されたり、トラブルの解決法を求められたり・・・ちょっとイラつきます。
大急ぎの仕事をやっているのに邪魔されたら困る、とイライラしそうになるときも、相手のことを思うのです。
相手は私の仕事を邪魔しようとして質問してきたのではないということ。
相手は私を頼って質問してきたということ。
相手が無邪気に頼ってきたことに目を向けると、
すぐに我慢しようという気持ちになり、人の助けが出来ることに感謝できます。
物事を深く見つめれば、たとえイライラする状況にあっても、もっと忍耐強く、おだやかになれるのです。
みんな、自分が正しいと思っている。
私は正しいことを言っている、間違っているのは相手だと。
いつも正しくありたいと願い、努めるとものすごいエネルギーがいるのだ。
そして、それは人を遠ざける。
間違っているのを指摘して、自分が正しいと証明するには、多くの時間とエネルギーが必要になる。
人は、相手の意見や見方が間違っていると教えてあげるのが自分の役目だと思ってしまいがち。
それを教えてあげたら、相手が感謝してくれると・・・
しかし、それは大きな間違いなのだ。
なぜかというと、人はみんなだれでも、間違いを正されるのが大嫌いだからだ。
自分の間違いを指摘されて、「ああそうか、やっとわかってうれしいよ」なんて、言わないだろう。
私たちはみんな、自分の立場を理解して欲しい、敬意をはらって欲しいと願っているはずなのだ。
話を気いて理解して欲しいのに、間違いを指摘されるとイヤになるから。
人の話をじっくり聞く人は愛されて、相手を正してばかりの人はひんしゅくを買い、仲間はずれにされる。
もちろん、本当に自分の正しさを主張しなければいけない時もあるだろう。
でもたいていの場合、人との出会いでうまくいかなくなるのは、相手より自分の方が正しいと思いたいエゴのせいだ。
相手に“勝ち”を譲る練習をすると、もっと心豊かに生きられるだろう。
相手の意見を尊重すると、相手は心を開いてくれ、あなたを受け入れてくれる。
たとえば、あなたは自分を誰よりも野蛮人で何も知らない人間だと思ってみよう。
そして、生きていて出会う人々があなたに何かを教えようとしてくれている。 こう考えると、他人に対するいら立ちや不満が薄くなるのだ。
つまり、スーパーで順番を待っていると店員がのろのろと仕事をしているようにしていると感じたら、イライラする代わりにこう考えるとしよう。
あの店員は何を教えようとしているのか。
そうすると、店員の立場になって考え、同情することが学べる。 お客さんがいっぱいで、次々と仕事が来て、いやになるだろうな・・・という具合だ。
あるいは忍耐することを学べまる 行列に並んで順番を待つのは、忍耐を学ぶのには最高だ。
イライラしたり不満を感じたら、この人は私に何を教えようとしているのだろうと考えるようにすると、 今まで、イライラしていたのがなくなり、落ち着いて暮らせるようになる。
失礼な若者に不愉快な口を聞かれても、何かを教えてくれていると思い、何を教えてくれているのだろうと考え方を変えると、ムダにイライラしないですむ。
さて、何を教えてくれようとしているのだろうか?
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